2009年03月23日

ボスニア物語

 「ドリナの橋」を読んで面白かったので、ボスニア物語を読んでみました。ノーベル文学賞受賞者、イヴォ・アンドリッチの代表作の一つです。

 オスマン帝国、フランス、オーストリアの太守と領事をめぐる話なのですが、どっちかというと同じ長いならドリナの端の方が好きでした。相変わらずのアンドリッチ的な諸行無常観、ボスニアというのろわれた不吉な土地が漂う作品でした。

 面白かったのが、今までオスマン帝国ってミッレト制で結構なかの民族や宗教はうまくいってたイメージがあったのですが、実はオスマン帝国からの太守も同じ回教徒が嫌っていたという点。そういう先入観があったので、状況把握するまでちょっと時間がかかりました。

 ヨーロッパに吹き荒れたナポレオンという大旋風がボスニアという辺境に届き、消滅していく、いつもボスニアはのろわれたまま。そんな感じの物語でした。
 個人的にはもうちょっとかなあ。
 相変わらず読むのに次官がかかりました。
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2008年09月27日

シュマンケルシュトゥーベ

 たまプラーザにある知る人ぞ知るソーセージ屋さん(たまプラ以外にもあるけど)。東急の地下に普通のソーセージ屋さんの見た目で入っている。異常なソーセージ屋さんっていうのはどんなんですかというつっこみはなしで。

 ドイツ人の知り合いに聞いてみると、どうやら近隣に在住するドイツ人コミュニティのなかでも高評価の店だとか。そういうことを聞いてはいかずには居られない。(本国野よりもうまいかも、という人も)

 こぢんまりしているのでちょっと分かりにくいのだけど、色んなしゅ類のソーセージやらレバーのパテやらが売ってある。ドイツのスーパーとかってこんな感じで売ってるなあと思い出す。

 確かにおいしい。
 特に打ちの家人などはレバーペーストが気に入ったらしく(もともと好きなんだけど)、昨日も我慢できなくなりわざわざでかけて買いにいったらしい…。

 美味しいのでぜひご賞味あれ。
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2008年08月24日

共産党宣言


 共産党員ではないですが、過去のものを掘り起こしてみようという気持ちがあり読んで見ました。というか、最近ワーキングプアなどの問題指摘と関連して「蟹工船」なんかいうプロレタリア文学が再び脚光を浴びているというではないですか。「万国のプロレタリアよ団結せよ」とプロレタリアを鼓舞し、道筋を照らしたといえばこの本が原点でしょう。
 正直言ってとても短い本なので、これで共産主義の真髄は分からないかなと思いました。背景になる歴史や、執筆された百年前の事情などが分からない限りはそのレベルに多って物事を解釈することは難しいものです。その知識の絶対量が足りない。

 序文からして階級闘争がある、と断言しているのも「はて、本当かいな」とつまずく有様。あるといわれればあるし、ないといわれればないような気もする。陳腐な言い方だけど、全てが(人間同士だって、人間と人間以外の動植物だって、人間一個体を構成する細胞同士であっても)資源の獲得競争で出来ている世の中が、こんな人工的な理論の箱に収まるはずがまずなさそう。
 徹底した資源の共有と反骨精神は見事だ。様々な社会主義や共産主義と対置をし、叩き潰した上で共産主義の精神を血まみれの絶叫と共に擁立する気迫に戦慄を覚える。新しい国家システムを構築するところも、やっぱりこういうのを天才というのかなと思う。
 ちなみに今ネット社会で台頭してきている共有ブームというのかな、無料ブームというのはちょっと共産主義っぽいなと素朴に思う(巨大ソフトメーカによる一極支配に対するものとして)。

 全ての価値観(良い、悪い)というのは権力者が決めること、とはヴェブレンがいったのかそうでないのか、いずれにせよそれは間違いないと思う。最近、弱者は弱者であるがゆえにその地位に居るのだなと、当たり前のことを再認識している。

 革命というのは一度国を焦土にかえてからでないとなしえないものなのかな。そこからプロレタリアによる政治をし…。ここで労働者を農民に置き換えたのが毛沢東だったり、ポル・ポトだったりするのかな。
 共産主義のシステムは結局失敗してしまったけれども、その全てが間違いであるとはいえない。ただ弱者は弱者でしかなく、階級が転覆しても再び同じ闘争が現れ、そういう歴史を繰り返してきたというマルクスの言は結局、共産党一党独裁に付随した腐敗で露呈してしまった。彼が書いたことが共産主義国家の中で起こってしまったように思う。人間くさいところまで、国家は管理できない。

 ううむ、じゃあ弱者は弱者であるがゆえに結局は搾取される運命にあるのか。このまま世の中を覆う大いなる虚実の中に飲み込まれ、支配されて消えてゆくのか。
 第一に優先されるのは大嘘の後ろに隠された権力者(ブルジョアというのか)の利益であることには、今後も変わりなさそうだ。
 でも、世の中の大多数は結局それでいいんじゃないかとも思う。少なくとも大成翼賛的な思考停止に対して、自分は疑問を持っているけれど(もっていたいと思ってる、かな)。

 他の文献を当たって、この本に立ち戻ってきた時に新しい発見があるように思う

共産党宣言改版
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2008年08月17日

つっこみ力

 吉田戦車のイラスト表紙が印象的だった反社会学講座。読んでいて噴出すような活字本というのは中々ないものだけど、今回の「つっこみ力」も期待通り面白く読めた。

 斉藤孝の「〜力」という一連のタイトルをもじっている(それも視点として面白いなあと)。論理力や批判力を鍛えても、誰も面白くないから見向きもしない、それよりも面白く遊びをもたせて「つっこむ」ことの大切さ、というよりは視座の提案。講座調に書かれていて、さっくりと読めてそれもよい。
 確かに世の中ってのは結局力を持っている人で動いていて、それにいくら論理だててたてついたところで無駄。小難しいことをいくら並べたところで誰も(難しいし、分からないし)見向きもしてはくれない。そんな中、最後に残るのはみんなに分かりやすい言葉で面白く説明できる人。その通り。

 データを使って関連付けをすれば全てがまかり通るというのも面白い。統計データに騙されてはいけないというのはわかりながらも、こうやって具体的に面白い説明がなされると、なんだかははあわかったぞという気持ちになってくる。客観的という視点自体は疑わしいものだということは知っていたけれども。

 いろんな社会問題や、それをまことしやかにレトリックを駆使して悦に入ってる専門家や学者を小馬鹿にしてこき下ろしているのも痛快(むしろ挑発してるように思うのだけど、違うのかな)。自分は専門家でも学者でもないけど、何だか本書に書かれているようなところに思い当たる節があるなと思った。
 分かりやすく、面白く、リスクをもってポジティブにつっこむ。まあだれかが拾ってくれるだろうさ。さっさと読めすぎてしまって、あんまり後には残ったように思えないけど、楽しい本です。
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2008年08月11日

「彼女たち」の連合赤軍

 とある場所でオススメされているのをみて、興味が沸いたので読んでみた。筆者といえば魍魎戦記MADARAの原作者で、かなり昔に読んだものだ(懐かしい)。

 連合赤軍の永田洋子をはじめとして、サブカルチャーが戦後の歴史
に占める割合を見直し、オウム真理教や戦後文学などにかかわった「女性」について言及していく作品。といった印象。
 自分を生きるということは何だろうと変に考えてしまう章もあれば、サブカルチャーをそこまで持ち上げなくても…とちょっと違和感があるなあといったところもあった(それはきっと自分がサブカルチャーを正当なものとしてみなしていない部類に属するからなのだろうな)。

 少女マンガや出てくる小説の類もほとんど縁のない作者やタイトルばかりなので、そこがイメージ衝かないけれども切り口としては面白いと思う。確かに大衆文化としてのサブカルチャーが、戦後の歴史の動脈にこんこんと流れているような気もするし、そういうものやボードリヤールの言う「消費による自己実現」をする主体性のなさげな人々、大衆が自分たちの生きる輪郭を求めてさまよっている姿が不気味に目の前に浮かんでくる錯覚を覚えた。

 オルテガやらベンヤミンあたりが、労働や研究はどんどん細分化していくようなことを書いていたと思うけど、サブカルチャーというのは労働ではないにしても似たような事象で、とめようがないものなのかと認識している。ここで傍流が主流になる転換が起こるのか。その後はどうなるんだっけか。
 そんな傍流が氾濫する時代において、主体的に生きるとはどういうことなんだろう。どこに捕まれるような根があるのだろう。

 「記号の消費」や「消費による自己実現」は先にも呼んだ今村仁司の本にも何度か言葉が出てきていたが、ちょっと興味がでてきた。ボードリヤールが原点のようなので、近いうちに読んでみようと思った。

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2008年07月19日

悪の華

 初めて詩集なんぞを買ってみた。
 こういう文体に慣れていないからなのか、正直よくわからなかった。レベルが足りないのか、単に感性が合わないのか。
 一通り読み終えたあとも、多少はいい詩かなと思うものがあったがやっぱりこう、期待していたものとは少し違った。愛欲のどろりとした黒さや、臭いたぎるような死臭も大して漂ってこない。バタイユまでいけとはいかないものの、そういう倒錯的なものがあるかと思ったが。

 この詩集が近代の市に与えた影響は大きいという話だそうだが、近代の詩なんぞ読んだことがないのでやっぱりよくわからない。次あたりはランボオなんて読んでみれば多少はありがたさがわかるのかな。

 確かにもの寂しさや苦しみなんてものを題材にしているだけあって、それなりの雰囲気は伝わってきたものの…。恐らくカタカナ文字(外来の名詞)なんてのがちらほらでてくるのに辟易したのかもしれない。ヴィーナスがどうだとかこうだとか。それなりの語学量があり、原著に当たれば恐らく何か違うのかもしれない。

 悪の華
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2008年06月15日

近代の労働観

 学生から社会人になると勉学から労働が生きる時間の多くを占めるようになってくる。学生自分は勉強って何だということを思ったりはあまりしなかったように思うが、社会人になってから働くっていうのは一体何だ?ということを思うようになった。
 何せ学生よりは社会人で居るほうが普通は長い。数十年は社会人として(これも普通は)労働に従事しなくてはならない。
 そういう思いは転職をした後も大きい。残念なことに労働時間というものが生きる時間の大半を占めている事実がある。これからどうなるかは分からないが、少なくとも以前はその割合がかなり大きかった。

 色んな事情があるにしても、ヨーロッパの人たちの労働環境を目の当たりにしてからは、日本人の労働環境に対する疑問がかなり大きくなった。彼らには殆ど残業というものがない。最初は冗談半分に日本は敗戦国だからかね、なんていっていたがドイツも同様の敗戦国だ。人が死んだりうつ病になったりしながら働かないと回らない組織体制でなくても、ヨーロッパの会社はやってゆけている(中小企業などそうでないところも多いらしいが、ただ日本を代表する企業で先端技術の開発という土俵で比較した場合、少なくとも私にはその違いが顕著に映った)。

 私の以前の職場環境でも今の環境でも、働く人はばりばり働く。家庭があろうが働く。口先だけは嫌がっている(これが重要)ものの、事実としてそれを拒否するようなことはなくとにかく働く。責任感が強いというやつなのか、とにかく私にとっては尋常ではない世界が当たり前のものとして、特に前職では存在した。彼らをそこまで惹きつけるものって何だ?残業代?そんなちんけなもので自分に嘘をついてまで心身を削れるものなのか。それとも変態?非常に不思議な世界が展開していたものだった。私には集団発狂に見えた。

 そんなこんなでこの本を見つけたのでちょっと読んでみた。著者の他の本は前も読んだことがあり、面白かったので期待はできた。
 太古の昔から始まり現代に至るまでに、労働がどういう風な見方をされてきたか、どういう風に利用されてきたかということが書かれている。労働は人生であり、労働は本質的に悦びであるというレトリック(つまりそれは大いなる嘘である)や、犯罪者を労働によって「再教育」した事実などを例にあげ、原始的な生活を営む民族の労働と現代の虚栄心に基づく労働の対比を行い、労働中心の政治と経済が同じく扱われる世界での、これからの我々の行く道筋を照らしている。

 虚栄心。それが私が最初に疑問に思っていたことの回答だった。著者は過去の文献で行われたアンケートをを元に、その文献の著者とは別の労働の本質と結論を抉り出す。そこには労働そのものに対する喜びではなく、人に認められる喜びということが結論付けられている。虚栄心から出た承認要求など決して満たされることはない欲望だ。そうして人々は無間地獄に落ちてゆく。誰もが知っての通り、欲望はきりがないわけだし。(ただ、虚栄心が全て悪であるというわけではないという)

 著者は労働はもはや象徴的な記号になってしまっているという。面白いと思ったので引用する。
 人はブランドと名声の高い企業に就職する。労働の質とか自分に最も適した仕事かで企業を選ぶのではない。労働の種類は何でもいい。企業の内部での労働であろうと、他の職種であろうと、何でもこなすが、社会的に格が高いと創造されるのであればなんでもいいのである。問題は、そのこなす労働の結果によって、上司と同僚から「格が高い」と評価されることだけが、いまや労働の動機になった。こうして労働は、消費財的になったのである。

 ははあ、そうだなと思った。自分で選ぶわけではなく、人がどういう風に見ているかということを基準に何事も選ぶ。自分の描いた他人の中で生きているとはよくいったものだ。
 消費財というのがいかにも面白い。また、ここでは同時に中間階層にいる人間がもっとも苦しい思いをするということも指摘している。

 前職を離れて今一度労働することとは何か、ということを客観的に考える機会に恵まれた。身をもって自分をそういう状況に置くことで、イヤというほどそれが見えてきた。机上の空論ではない、実経験に基づいた知識というか知見を得ることが出来たと思う。
 今の環境を手放しに賞賛ような愚はしないけれども、そういう経験を身をもって出来たことは大変価値あるものだった。何か冷めた感じなのかもしれないが、近視眼的に環境を受け入れず、労働観を客観視できるようになったと思う。
 ただ、かといって労働に没入する人を見て「あはは、馬鹿だ」とは言わない。自分と価値観が違うゆえに悲しい人たちであると見えてくるようになった。

 この本は労働というものを通して、人間としての生き方をどう見ていくかということも書いている。日常生活の中で最も長い時間を閉しめる隷属的な活動である労働が、どいうものでどういう歴史を歩み、そしてどう捕らえてゆけばいいのか、選択肢を提示する。一番人生の時間を割くものに対して、どう向き合えばいいのか考えることは生きることを考えることに等しいのかな。
 私の場合、労働に埋没したりすることに極めて否定的なため、ネガティブな面を多く捉えてしまったかもしれない。内容は少しばかり小難しいけれども、距離を置いたものの見方の一つとしてこんなアプローチもあるものなのだということを知った。
 誰のための労働なのか。働くために生きているのか、生きるために働くのか、それ自身を決めるのは自分の責任であり誰の責任でもない。どちらをとってどんな結果になっても、それは自分自身の責任である。そうした時、どういう道をとるかだ。

 1日労働3時間。これが実現できる社会は全く別物であると思うけれど、しあわせで面白いだろうなあ。

 近代の労働観
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2008年05月24日

入門経済思想史世俗の思想家たち

 500ページ程度の本だったが、読むのに時間がかかった。難解なわけではないけど、単に読む時間が取れなかったのが理由だと思う。

 一言で感想をいうと、分かりやすくてお勧め。
 有名な経済学者も出ればあまりそうでない人も出てくる。経済というとちょっととっつきにくいイメージがあるけれど、それぞれの思想家の生い立ちをからめながらその思想を平易に説明していてとても興味深く読むことが出来た。恐らく翻訳者の力も大きいと思う。

 アダムスミスから始まりシュンペーターで幕を閉じる。それまでの間に数々の経済学者が登場し、大きな経済学の歴史の流れに流されていくこともできるし、一章が独立しているため興味のある箇所だけかいつまむこともできる。どの経済学者もちょっと変わったところがあり、教科書で読むよりもはるかに親しみをも持つことができる。
 私もこの本の中に登場する学者の一人の著作を紐解いたことがある。最後まで読めなかったけれど、半分ぐらいまで読んだだけでもその中身の魅力は今も色あせることはないと考えている(いつか再挑戦したい)。その経済学者はソースタイン・ヴェブレンだ。恐らくこの本に出てくる中で最も奇人なのではないかと思う(それなのに女にゃもてたらしい)。再びこの人物については興味が沸いた。

 世俗のとあるが、異端の経済学者だけを紹介しているわけではない。あくまで主流と対置し、その観点から当時の異端の人物を抽出してきている。どの思想にも欠点があるが、それはその時代当初の断片から生み出されたものであり決して後世に全てを当てはめることは出来ない。

 ここを起点にそれぞれの経済学者の本を読んでいくのもいいと思う。とにかく面白くて分かりやすく、少しでも経済思想(経済思想というのは経済という冷たい無機質な学問的イメージとは違い、人間の欲望や権力の流れをあらわす極度に人間くさいものだと思う。この本を読んで包括的にそれを俯瞰し、改めてそう思った)に興味があれば絶対読んでみてほしい。

 入門経済思想史世俗の思想家たち

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2008年04月29日

PansonWorks × キン肉マン

キン肉マン スーパーでぼーっとする時間があったので何気にガチャガチャの方に目をやった。
 あれ、どっかでみたことがある絵柄。しかもキン肉マン…。
 と思ったらPansonWorksのキン肉マンじゃないか。
 これは可愛い。

 普段おもちゃとかこういうものは買ったりしないのだけど、数十年ぶりにガチャガチャにコインを投入してしまった。いい大人がいい歳こいてガチャガチャのレバーをまわす。昔はキン消しを、今はまた別の形でキン肉マンに出会う。時間を越えた出会いがすばらしいではないか。

 どうやらルパン三世とかのシリーズもあるみたいだ。これは…くすぐられる。こういうコラボってずるいなあ。


カワイイ!!あの大人気キン肉マンソフビの第7弾登場!!★10%OFF パンソンワークス キン肉マン ソ...
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2008年02月23日

この人を見よ

 ニーチェの入門書とも言われているけれども、これまでのニーチェの著作の総括的な内容になっているためある程度(望むらくは全てを?)読んだあとにこの本を手にするとまた違った感想を持つのかもしれないな。入門書というには難しいような気がするし、大言壮語や断言を見るにちょっと初めての人には抵抗があるやもしれないと思いました。

 思うにニーチェの初期の作品を読んでいないため、後期のものとしか比較できないですが、これまで手にした本と基本的に大きな思想の流れは変わっていません。そして本書にもあるように自分が書いた本を否定するようなことが全くない。
 ドイツ人である(ポーランド人を祖先に持つといっているが)本人自身によるドイツ人の完膚なきまでの批判。芸術およびフランス的なものに対する賞賛、称揚。「私はダイナマイトである」という有名な言葉も、この本で出てくるんですね。
 シニカルな笑いは余りなく(個人的にはニーチェの文章で好きなところでもあるんですが)、徹底的にキリスト教を批判し(訳者もいっているように、キリスト本人に対する批判はないのですよね)、新たな価値道徳はニーチェ本人である、と断言しているように受け取れました。ここまで言い切るかとちょっと辟易してしまいましたが、ニーチェ本人の発狂直前の本だけあってちょっと壊れかけていたんじゃないかと、文章からそういう匂いがしました。

 かくも論理的、効率的に構築され自我を発揮するどころか埋没させてゆくような社会に対する過激すぎる非難。しかしこの彼のなした価値転換に私は少なからず影響を受けたと思います。
 読んでいて何気なく思ったのが美味しいものを食べて、健康に気をつけて、そして適度な運動をするのは大切なんだなということです。当たり前のことですが。
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2008年01月19日

不実な美女か貞淑な醜女か

 ロシア語通訳者の筆者による通訳論。内容もろくに確認せずに読み始めたら、意外と筆者のいつもの調子が鳴りを潜めた感じがあって「あれ」と思ったらこれが処女作だったらしい。いつもの軽快・痛快な内容を期待すると肩透かしの感もあるが、今後の活躍を予感させる片鱗が窺い知れる。

 通訳としての経験やエピソードなどを交えて、通訳という職業についての考えなどが書かれており、語学に少しでも興味のある人なら楽しく(というよりは筆者の語学力は卓越したものがあるため寧ろ目から鱗、勉強になるというレベルかと思う)読める。「ロシアは今日も荒れ模様」だったか、元ロシアの大統領故エリツィンの通訳をした時の話が書いてあったが、通訳という職業を通して様々な要人との交流があり、その裏話が書いてあるのも興味深い。流石は一流といったところか。

 一番これだと思ったくだりは昨今の(とはいえ書かれた時代は少し前になるが)英語教育の批判だ。これは非常に頷けた。
 バイリンガルに育てるという(自分ができないからだろうか?自分ができてからにすればいいと思うのだけど)旗印のもと、かなり小さい頃から子供をそういう教室・学校にいかせる。そういう託児所もかなりの数があり、私にとっては辟易しているところだ。(英語なんてやらせなくていいよ、その分安くしてよって)

 いやあ英語というか外国語なんていうのは本人が興味を持ったらやればいいし、やらせてあげればいい。言語をつかさどる脳のどこだったかは10歳あたりからの方が他国後を吸収しやすいとかいう話も聞いたことがある。筆者の経験としても年齢一ケタ台の時に外国にいた場合と、母国語の土台ができた10歳あたりから外国語をやり始めた場合とでは後者のほうが優れているといっている。
 まずは母国語や母国の歴史を知るべし。それって出身地方にしてもそうだと思う。初対面や話の話題としてよく出身地方の話になる。どこ出身ですか、ときかれて答えると、そこの名産は何ですかなどなどと話が広がる。単に本人はその地方出身であるだけだが、あたかもその地方の代表として話をすることを期待されていたりする(過度の期待はないと思うけれども、答えられないとちょっと頼りない印象を受ける)。それって外国に行っても繋がる。自分は日本人である以上、相手も日本人である自分に話しかけている。イヤだと思ってもどうしようもない。
 相手との対話とは外国語を抜きにしても、語るべき内容、ひいては本人のルーツがないと全く興味の失せる内容になってしまう。言語は所詮道具である。英語は所詮地球の一地方語である。(本当に国際的な言語をやりたいならエスペラント語にすればいい?)

 教育の仕方についても何だか思うところがある本。
 面白さは他の作品よりも劣ると個人的に思うが、これで読売の文学賞を受賞している。変な通訳が引き起こす文化の違いのミスコミュニケーションの逸話など他にも盛りだくさんであります。
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2008年01月12日

砂の女

 高校生の時に夏休みに読んでこいと課題に出された何冊かの一冊に、この本があったのを覚えている。そのときはこの本を選ぶことはなく、太宰の本を読んだ。どれだったか覚えてない。人間失格だったかな。
 それから再びこの本が自分の前に登場するまでに何年もかかった。今度は実際に読んでみた。

 人間社会や生活に存在するテクスチャのような反復が、砂と男と女を交えて表現されていて興味深く読めた。無機質だが奇妙な魅力のあるマンデルブロー集合のような世界に閉じ込められているが、その中に安心感と妙な納得感があるような、なんとも言えない世界を実存主義っぽい口調で表現してあって、かなり自分の好みにあった。グロテスクではないが、こういうのは好きだ。
 社会というのは虚実である。その虚実を作り出しているのは、その構成員である我々である。人は自分の作り出した形のない幻影に向き合いながら、食事、排泄、性交、睡眠、仕事、学習などの単調な反復運動に没我している。その単調な反復が他の反復と交わり、別の動きを創出する。
 世の中には「複雑系」という学問分野、領域があるが、それを生々しく飢えた人間生活に写像したような感覚を覚えた。

 自分が一所懸命大事に思って守ってきたものは、実はなんでもないものだったりする。今のこの生活も、大切な人も、友達も、なんでも結局すべては自分が作り出した幻想なのだ。なくなってしまった後は、別にどうでもいいものになっている。そして幻想のために生きて死んでゆく。
 世の中は退屈なものだ。労働は苦痛であるが、その退屈を緩和することができる鎮痛剤のような側面も持ち合わせている。単調な反復の連続(作業)によって、退屈を感じる主体である自分を忘れることができる。(やりすぎて死んだり病気になる人もいるけど、ある意味中毒なのかもね)
 幻想は所詮幻想である。しかし人はその幻想に最後まですがって死んでゆく。
 一人一人の幻想が作用、反作用している社会や生活を俯瞰してみるとその美しさと強烈なまでの吸引力に恐怖すら感じることがある。日常から脱出しようと非日常世界に身を投じてみても、口をあけて待っているのは結局日常なのだ。そんな世界を鼻先で笑ってみたところで、結局自分も同じ穴の狢であることにも気づく。ああこの反復というやつは。

 この小説はえぐるような生々しい文章表現とともに箴言にも満ちている。その箴言の一つでも得心したのはこれ「孤独とは、幻を求めて満たされない、渇きのことなのである」。
 いい。他のも読んでみようと思った。

 おっ、と思ったのがこの本の解説をドナルド・キーンがやっていた。知る人ぞ知る日本学者で、英文でこの人の作品を読んだことがある。これは余談。
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2007年12月16日

Echoes, Silence, Patience & Grace

 AFNを聞いていたらノリのいいアップテンポな曲が耳に入った。一発でデイブ・グロール節だとわかった。Foo Fightersの新譜のようだった。相変わらず重厚なフックのきいた曲つくっていいねえと思い、めったに買わないがEchoes, Silence, Patience & Graceを購入してみた。

 自分の聴いた曲Pretenderは1発目。スローなパートから入って一気に横面に一発お見舞いされる感覚があり、規則的なノリがいい。この曲のPVって今流れているiPod touchのCMにも使われていますね。メディアへの露出も一番この曲が高い。とにかくこの曲はいい。アップテンポなFoo fightersの曲が好きならお気に入りのラインアップに入ると思う。

 が。2曲目からその興奮が次第にフェードアウトしていく。一個前のアルバムは聞いてないんだけど、殆どがまったりとスローテンポな曲で占めている。うーん、悪くはないけど。

 フーファイといえばT2ndのhe coler and the shapeの印象が強い。いつもこの影を追い求めてしまう。当時の自分にとって凄く強烈な一枚だったもので…。
 あとは例によって面白PVを拝めるかどうかかな。
 PretenderとFoo fightersが好きという両方の要素があれば、この1枚は買いなのかなあ。
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2007年12月15日

善悪の彼岸

 久しぶりに哲学の本に手をつけました。今までどたばたしていて腰を落ち着けて読むことすらまま成りませんでしたもので…。生業も変わり多少は自分の時間が取れるようになり、これから色々読めるなって感じでございます。
 今回はニーチェの善悪の彼岸です。道徳の系譜と並んでニーチェの入門に位置する(とかいうのをどこかで読んだことが)もので、道徳の系譜のほうは前読んでおり、これからようやく中級者?になれるのかななんて思ってみたり。中身をそんなに理解しているわけではないので中級者にはほど通いですが。何せさっと読むには難解なもので…。今回も結局数ヶ月を読了に要しています。

 当時のヨーロッパに対する警鐘(愚痴?)、女性差別的な発言の数々と中々やってくれますね。道徳の系譜を呼んだときほどの衝撃はなかったです(読み方が足りないのかもしれないですが)。ただ、ニーチェ後期の作品らしく、その思想の輪郭が様々な断章を拾ってゆくことでぼんやりと見え隠れしてきます。

 フランス革命についてもニーチェなりの考察があり、これは新鮮でした。相変わらずキリスト教批判については辛らつな態度を貫き通しております。

 しかし、どうもこの本はニーチェの著作の中でも難解な部類に入るようですね。入門っていうかこれは入門としてはちょっと…。また他の著作も読んで、時がたつと分かるようになるのかもしれません。まだまだ甘いってことですよ。
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2007年07月08日

酔いどれ列車、モスクワ発ペトゥシキ行

  最初「へんてこなタイトルだな」と思っていたのですが、読むと滅茶苦茶に面白かった。完全に酔っ払った時の断片的なへべれけ思考を見事に文章としてあらわしている。これがまず感嘆に値する。こんなイッちゃった文章表現は初めて経験した。
 単にへべれけになって飲み続ける男を面白おかしく書き続けていくだけかと思えば、物語のすじの下書きになっているのは様々な物事に対するパロディであったりする(訳者の解説がある程度のその助けになるが、それが全てではない)。これがまたかなりの教養を求められるため、私には中々。様々な文学作品やロシアの事情を分かっていれば居るほど、もっと面白くこの本を読むことができるのだと思う。
 ただそこで読者を選ぶような内容ではないと思う。予備知識がなくても十分楽しめる。この本を読んでいて何度声を立てて笑ってしまったことか。訳者の翻訳の言い回しがうまいという理由もあるのだと思う。
 本当にロシアというのは酒漬けになっているんだなというのが痛いほど分かる。でもそれがまた悲哀を帯びたやるせなさとしてなんともいえなく響いてくる。もう彼らには飲むことしか出来ないのだ。労働者から官僚にいたるまで、全てがへべれけになって国家が回転している。出口が全く見えないトンネルの中を迷走しながら、ゆるゆると走る列車のようだ。(ついでに読んでる自分も酔いつぶれてしまいたくなる)
 結末はまたどうしてこんなことになってしまうのかがよくわからなかったが(解説を読んでようやくフーンといったところ)、この本は面白かった。

 しかしメチルアルコールやらオーデコロンをウォッカにまぜてカクテルを造るのって本当にやるのかな。アルコールとなれば何でも飲むというロシア人の究極の逸話には苦笑いさせられた。
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2007年06月25日

若きウェルテルの悩み

 小学生の頃に読んだ手塚治虫の火の鳥の宇宙編だったかの劇中に登場する、カプセルの中に入ったクローンの子がこの本を読んでいる1シーンがある。何でか覚えていて、今日までその本自体にふれることはなかった。こんな恋情の業火に自身が焼き尽される物語を読んで、カプセルの中で彼は何を思ったのだろうな。
 言うまでもない、ゲーテの代表作の一つ。人妻への恋とかいう危なっかしい内容でなければ食指は動かなかったと思う。ゲーテやシェイクスピア(これはまだ英文のベニスの商人しか読んだことない)なんていうのはあまり縁のないものだ、なーんて勝手に自分で枠を作ってたし。

 最初は感受性の豊かなロマンチスト青年の退屈な日記、書簡がくだくだと書かれてあってそんなに面白く感じなかったが、最後のほうで一気に引きずり込まれた。一歩間違えると危ないストーカーみたいな感じの彼だが、まあ、ストレートに自分の理想と倫理に生きたといえば、そういえなくもない。そして彼の思想も分からなくはない。それだけに最後はううむとうなってしまった。もどかしさに身もだえする狂気が伝わってきて、読み手のこちらがやりきれなくなる。
 狂気と悲劇の結末はいつも美しい。甘美としかいいようがない。どろりとしたたり落ちる甘美な黒い美しさというのかな。
 色々な伏線が最語に一つにまとまっていくスリリングさもあったかと。うーむ、いい。

 何かに情熱を燃やすというのは青春時代の特権ではないと思うけれど、万人はそういう機会を与えられていながら、自分のみを「焦がす」ほどの「愚」は冒さずに一生を終えると思う。どこかで皆立ち止まり、我が身の可愛さに引き戻される。
 そこで代わりに小説やドラマの登場人物に悲劇を味わってもらう、あるいは死んでもらう。この小説はそこの欲求にうまく答えているんじゃなかろうか。

 最近の小説というのはとんと触れていないけれど(避けているわけではなく、優先度的に古典が高いので)この手の手法っていうのは、そこでは当たり前なんだろうなあ。登場人物はいわゆるそこそこの身分の人だし、時代背景なんてのも今と合致することはない。けれども悲劇や恋愛というものは、割と変わるもんじゃあないんだなとも思った。
 いやさ、ゲーテだからこそなし得る業か。
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2007年06月17日

世界4大ビール品評会金賞:よなよなエール

 今検索するともう在庫なしですね(ここ)。ひそかにうわさのビール「よなよなエール」を飲んでみました。

 評価◎。美味しいです。
 フルーティな芳香がふわっと口に広がったかと思うと、まろみのなかにキレのある苦味がありのど越し感も良好です。これはいけてます。大手のビールに毒されてしまった舌に一喝。というかこういうことをし始めると、割とマニアな領域に少しだけ入ってしまったかなとも思いますけど。
 が、マニアではすまないです。きちっと受賞歴がありますからね。
 ちなみにペールエールビールです。

 ちなみに持論ですが日本のビールの質は高いです。最高峰だと思います。湿潤な気候に丁度あうように作られているのかもしれないですが、やはり日本のビールはよいですね。その中でも光る存在だと思います。

 ちなみにショップはこちらです。⇒よなよなエール
posted by 煩悩即菩薩 at 21:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | レビュー

2007年06月16日

水いらず

 「嘔吐」以来2冊目のサルトルの本だ。嘔吐の書体スタイルがちょっとだけつぼにはまってしまい、嘔吐よりも初期の短編集であるこの本を読んでみた。実存主義っぽい文体がいいのかなあ。妙に生々しくて、少しだけ気分が悪くなるような、丁度臓物の苦味みたいな感じがある。

 短編集だけあって何篇かが入っているのだけど、このタイトルの「水いらず」という作品がいいなと思った。主人公のリュリュの気まぐれなところがまさに女心と秋の空、という言葉としっくりくる。こういう人は迷惑だが、その奔放さから来る迷惑はどこか迷惑にはならなく寧ろ魅力的なのだ。そういう表現がうまいなあと思った。
 あと「部屋」はどこか乱歩の「芋虫」を髣髴とさせた。不具の夫を世話しながらも、そこに微かに揺らめくサディステックな支配欲が最後に露になる。なんともいえん。

 どこか汗臭いような、目の付け所が人間臭い、そういう表現がちりばめられてあっていつもうなってしまう。嘔吐で用いられている表現の手法が、そこかしこにあってそこもまた面白い。
 ただ、流石に嘔吐であったような眩暈のするような倒錯感というのは薄いように思えた。
 サルトルのエッセンスを手軽に楽しめる一冊ですね、これは。
posted by 煩悩即菩薩 at 21:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | レビュー

2007年06月07日

石の花

 第二次大戦中のユーゴスラビアのことをかいた珍しい作品だったので、余り漫画は読まないけどちょっと読んでみた。ヒトラー政権やらユーゴやらのことは少しは知っている方なので、全てが新鮮ということはなかった。知名なんかもある程度頭に入っているので、知っているところやいったことのあるところの名前が出ると少し嬉しかったり。
 戦争に巻き込まれていく人々、人をあやめることに苦悩する主人公、強制収容所などなど人の数だけ話が散っていく。散っていくのはいいけれども、最後のほうが尻すぼみになっていてちょっと惜しかった。色々出てきた登場人物がどうなったのか分からなかったのが残念。少年誌向けだったのか、そこまで酷い描写があるわけでなく、そこももどかしかった。
 ユーゴやナチスドイツの一面を知ることができる、入門として手に取るのは良いかもしれないですね。参考文献も最終巻にはあり「夜と霧」もありました。
 ユーゴ関連でやっぱり今のところ一番輝いている作品は「ドリナの橋」ですね。あれはノーベル賞作品だし、そういう意味でも仕方ないかもしれないですけど。
posted by 煩悩即菩薩 at 22:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | レビュー

2007年05月09日

イワン・デニーソヴィチの一日

 シベリアのラーゲリ(収容所)送りになった、一農夫のおじさんの一日の話。ソルジェニーツィン第一の作品だそうで、短編で気軽に読んでみた。
 辛いラーゲリ生活を切々と語るというよりは、ラーゲリでの生活に忙殺されてそんなことを思う間もない状態になっている。朝五時の起床から就寝までを、様々なバックグラウンドを持つ囚人を交えて淡々と表現している。

 ロシアというよりはソヴィエトといえば世界最大の面積を持つ国家だ。それだけの面積の中に単一民族のソヴィエト(ロシア)人が住んでいるかというと、そういうことはまずありえない。ロシアのシベリア膨張政策に従って、様々な民族がロシアのソヴィエト連邦の傘下に入っている。そのためラーゲリの出身は地方や様々な社会階級の出身はさることながら、異なる民族が一同にすし詰めになっている。
 色んなバックグラウンドの人々が、一つの囚人階級にいる。
 何だか安宿で会する旅行者連中みたいな(そんな甘い身分ではないけど)、それにつながるようなものがあるのかな。

 中盤の作業の部分はちょっとだけ退屈しながら読んだ。
 ロシアなりの言い回しやらはやっぱり面白い。ラーゲリの言葉が下品なのか、ロシアのジョーク自体が下品なのか。

 酷寒の中に使役され、20年単位の刑期を黙々と生きる。そんな現実が本当にあったわけだ。夜の食堂で出くわす、オールドボリシェビキのオヤジのかもし出す年輪の味がなんとも渋く、ラーゲリ暮らしが人生であるような一種凄みを帯びた存在感が印象的だった。
 結局ソヴィエトは名前を変えて、彼等を奴隷階級として使役したような話を聞いたか読んだかしたことがある。
 彼らが作った建物は今も旧ソ連の国々に残っていますが、まあその労働は無駄じゃなかったとかそういうことも一概に言えないんですよね。
posted by 煩悩即菩薩 at 20:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | レビュー

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