2007年10月08日

転職考

 転職します。入社する前から恐らくずっとはいないだろうなと考えていたのですが、それが現実となりました。入社する前、というのは昔の友達の言で「恐らくお前がこれから入る会社に5年もいればどこでもいけるよ」といわれたのがちょっとしたきっかけでした。二心ありの状態で仕事をしてきたわけではないですが、いつかはくるかなと考えていました。
 国内で(海外でも)知らない人はいない会社ですが、家族もありそこからの転職というのはよほどの覚悟がなければという感じもあるかもしれません。実際はそんな感じでもなかったです。会社がいくら大きくても自分の働く環境が自分の望むものとあっていなければ、それは意味がないことで、お互いにとって不幸だと思います。
 もともときついということは知っていましたし、これからもやれないことはないと思いますが、丁度自分の関わっているプロジェクトも終わる区切りだし、今しかなかったと思っています。断っておきますが今の会社にうらみなどはないですし、少なくともその他多数のところよりはよっぽどよい会社だと思っています。いわゆる贅沢な悩みです。

 残業というのは私は悪いことであると捕らえています。私は小学生の頃は超がつくほどの劣等性で、よく居残りをさせられていました。これと同じ。そう考えると何故居残りをするほどよいのかという価値観がよくわかりません。残業代の支払いというのもそういう風潮に拍車をかけている。自己犠牲の美学がまかり通っている。
 仕事柄海外の人とのつながりがありましたが、彼等が口をそろえて言うのは日本人の過度の残業についてでした。彼らと関われば関わるほどその思いは強くなったと思います。

 過度の残業が雇用の機会を減らしているという話もあります。仕事は男がやり、家事は女がやる、それが当たり前という状況の打開もできません。女にもせっかく有能な人がいるのですが、意思があるのにその機会に恵まれない人は勿体無いです(これは以前も書きましたが)。

 家族の意味についても考えました。
 家族って何でしょうか。家にお金を入れれば家族でしょうか。家族は家族の構成員一人一人がその集団を作り上げてゆくからこそ家族なんだと思っています。その観点に立脚するとお金を入れるだけの存在は家族でしょうか。家族には人間関係が介在する以上、それでよいというのはお金のためにいる外側の人でしかないです。人間関係が存在しないのですから。
 父親面は、できないですよね?(恐らく子供が成長してからは顕著でしょう。もはや子供は家族扱いはしてくれないと思います。居場所がないということです)父親の定義の違いでしょうか。

 とにかく以上のことがどうしてもできない人がいるのは分かっています。それが日本の大半を占める社会だということも分かっています。ただその流れに身を任すのだけはしたくありませんでした。会社の悪口を言うならやめろよ、その状況を打開する気がないならやめろよ。ないな。じゃあやめようと思いました。(それが理由の一つなだけですが)
 いつかはそうでない社会がくればいいですね。というか働きたい人は働けばいいし、色んな価値観があっても良いような社会がくればいいなと思っています。絵空事のようですが色んな価値観を飲み込める許容量をもってこそ成熟した社会といえると思います。こういう思いは自営業の父親をもち、常に家族は一緒だった背景があるから強いのかもしれません。

 ところで肝心の転職活動ですが、思っていたよりもかなりとんとん拍子にいきました。複数の会社に応募しましたが殆どがうまくいきました。これはかなり予想に反していました。自分がしてきたこと、自分がこれからやりたいこと、なぜ転職するのかという三つのポイントさえ抑えて自分の言葉で話すことが出来れば大概のところはいけるものなのだなと思いました。
 ただこれは今の売り手市場が追い風になっているという事情は否めないと思います。今後また雇用が縮小することもあるかもしれませんし、それは株式投資のようなものかなと。

 さて次のところは実際いってみないと事情は分からないです。ただ、私の希望の大半はかなえられる条件で迎え入れてくれました。数年たってみて、私はどう思っているでしょうか。自分で決めたことです、会社の異動の様に人に決められたことではありません。後悔することはないでしょう。後悔するというのは議論のレベルが違っていると思います。
posted by 煩悩即菩薩 at 20:45 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記
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