2006年07月03日

世界報道写真展2006@東京都写真美術館

 暇なので行ってみた(開催情報)。恵比寿は1年かそこらぶりかなあ。用事がないのでほとんどいかない。数年前は隔週くらいでこの手の写真展やら講演を聞きにいった記憶がある。あの時も暇を持て余していたんだろうな。写真美術館だけでなく、小さなアートギャラリーでの写真展までいってた(一番興味があったのはチェチェン紛争関連のもの)。緒方貞子の講演を逃して以来、こういうイベントから足が遠のいた。
 今回のこれは少し前から狙っていたのだけど、久しぶりだったにも(大仰なタイトルだったにも)かかわらずまあこんなものかなという感想。勿論面白いのはあったけど。(ルーマニアの地方の町の、ガチョウを抱えたおばあちゃんの写真とか。ロマが財産誇示のために大きな家を建てるが中はからっぽなんだとか。)
 相変わらず自分の知らない世界では悲惨な事件が起こってるし、まあもう震災なんか起こるとこりゃ私個人の力じゃどうにもならんので、こうやって事後報告を傍観するしかない。これを見に来ている人がどういう気持ちなのか知りたいものだ(よーし、こんな人たちが居るので助けてやるぞ!と頑張る人とかもいるのかな)。自分自身としては、とりあえずこういう世界もあってのうのうと無駄飯食める自分もいるんだな、何かの役に立つかもしれないかなと素朴に思うぐらい。あと募金する時のきっかけ作りかな。
 このあたり、あくまで蚊帳の外の人間と位置づけていることに変わりない。

 報道というだけあって、スポーツの写真もあった。ドンパチやったり飢餓に苦しんだりしている写真の堆積にうんざりしかけたところに丁度隙間風が入る。でも、飛び込み台に頭を打ち付けた瞬間の写真は痛そうだった。
 ありがちだけどアフリカのどこぞのダイヤの採掘場の写真と、着飾った人たちの集う社交場(宝石自慢の会?なんか女体盛りの周りに貴婦人が集っていた不思議な写真)の対置。石油もそうだけど宝石の採掘利権争いもこれはこれで流血の紛争沙汰の原因だしね。いつのまにか殺人に加担に遠因してるってことかな。そんなこといいはじめるときりがないけど。いや、死屍累々の上にあるからこそ価値がでるんだしね。

 その効果がどんなものなのかはわからないけど、日本にはCNNみたいに延々とニュースをたれながすような放送ってないよね。あっても見ない人は一切みないのかもしれないけれど、ああいうのがあるともう少しは世界のニュースが身近になるようになるのかな。 求められていないからそういうものが存在しないのだから、例えそうなっても仕方ないか。でも自ら得ようとしないと得られない情報であるというのも、面倒な話だな。いつのまにか、こういう写真展とかネットでわざわざ情報を引き出さないと、遠い世界の話になってしまう。日常のくだらないうんこ情報に埋没してしまう。

 ごく限られた経験でしかないが、欧米人で多少学のある人なら世界の情勢や歴史の話は割りとよく知ってるような気がする(感覚的な情報だなあ)。

 チェコからオーストリアに帰る途中の電車のコンパートメントで一緒になったニンニクくさい企業家オヤジを思い出した。ポーランドとチェコの国境付近出身で、ポーランド語とチェコ語とドイツ語と英語が喋れる。更に持っていた本がリチャード・ドーキンスの本だった。ああ、私も利己的な遺伝子くらいなら読んだことがあるよと話が合った。遺伝学用語を数年ぶりに耳にして、ついていくのに大変だったけど。
 日本人だったらアイヌ語と東北弁と韓国語と日本語が喋れるとか、そういうレベルになるのかな。単なる環境の違いなので、そういう人がざらにいるヨーロッパ万歳と礼賛するわけではないが、そういう感覚ってないよね。
posted by 煩悩即菩薩 at 12:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | 散歩
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