以前、海外を旅行して回った時に、色んな貧しい人たちに会ったこともあって、自分の境遇とのギャップに何だか複雑な気持ちになったことがある。どうにかしたいなと思いつつも、個人じゃどうにもならないしなあとまあ、頭に思っただけで特に結果として行動も起こしていなかった。
その頃はどうにかしたい(海外の貧しい人を)なんて短絡的に思っていたけど、足元を見れば国内にだって貧しい人がいることにすぐ気づいた。特に都市部に移り住んでからは、何だかそういうものを感じることが強くなった。優先順位はつけれないけど、海外よりもまずは自分の家の中(国)が片付いてないよね。
今は自分なりに中の中の暮らしをしているかなと思う。何をどう比べたわけでもなく、まあそんなもんだろうといった素朴な考え。凄く満たされているわけでもないし、大して生活に苦労もしていると思わない。そもそも物欲はないし、消費社会の人間としては失格かな。
そんな人間が、とりあえず面白そうだしみたいな興味本位で首を突っ込むことはちょっと煙たがられるのかな。ただ、自分自身も漠然とした雇用の不安だとかは抱いていて、明日はいつでもわが身に降りかかるようにも感じている。
平和な時勢でも戦時でも、上に立つ人間は人を殺してもなんとも思わない。必要とあらば人の人生を台無しに出来るようでないと、自分の利益は守れない、そういう人がなるもんだと個人的に思う。またそういうのを多少見てきた。
大企業だと無意識のうちに他の国の人の雇用を奪っていたりするし、低賃金で搾取もできる。社会に出て以来、自分はそんななかの一員だったりして、最近何だかいい気分がしない。
見栄とか虚飾のあくなき競争の螺旋階段から、意識的に一歩踏み外してみると、いつもそこには犠牲者のうめきがある。ルサンチマンの渦に引きずり込まれてしまう。すぐに共産思想に走ってしまうのは短絡的だと思うので、自制。
いや、共産主義もいいけど、第三の道ってのがないとちょっと逼塞してしまうよ。誰か革新的な経済の作組みの創出をお願いします。
自分以外で。