2008年08月24日

共産党宣言


 共産党員ではないですが、過去のものを掘り起こしてみようという気持ちがあり読んで見ました。というか、最近ワーキングプアなどの問題指摘と関連して「蟹工船」なんかいうプロレタリア文学が再び脚光を浴びているというではないですか。「万国のプロレタリアよ団結せよ」とプロレタリアを鼓舞し、道筋を照らしたといえばこの本が原点でしょう。
 正直言ってとても短い本なので、これで共産主義の真髄は分からないかなと思いました。背景になる歴史や、執筆された百年前の事情などが分からない限りはそのレベルに多って物事を解釈することは難しいものです。その知識の絶対量が足りない。

 序文からして階級闘争がある、と断言しているのも「はて、本当かいな」とつまずく有様。あるといわれればあるし、ないといわれればないような気もする。陳腐な言い方だけど、全てが(人間同士だって、人間と人間以外の動植物だって、人間一個体を構成する細胞同士であっても)資源の獲得競争で出来ている世の中が、こんな人工的な理論の箱に収まるはずがまずなさそう。
 徹底した資源の共有と反骨精神は見事だ。様々な社会主義や共産主義と対置をし、叩き潰した上で共産主義の精神を血まみれの絶叫と共に擁立する気迫に戦慄を覚える。新しい国家システムを構築するところも、やっぱりこういうのを天才というのかなと思う。
 ちなみに今ネット社会で台頭してきている共有ブームというのかな、無料ブームというのはちょっと共産主義っぽいなと素朴に思う(巨大ソフトメーカによる一極支配に対するものとして)。

 全ての価値観(良い、悪い)というのは権力者が決めること、とはヴェブレンがいったのかそうでないのか、いずれにせよそれは間違いないと思う。最近、弱者は弱者であるがゆえにその地位に居るのだなと、当たり前のことを再認識している。

 革命というのは一度国を焦土にかえてからでないとなしえないものなのかな。そこからプロレタリアによる政治をし…。ここで労働者を農民に置き換えたのが毛沢東だったり、ポル・ポトだったりするのかな。
 共産主義のシステムは結局失敗してしまったけれども、その全てが間違いであるとはいえない。ただ弱者は弱者でしかなく、階級が転覆しても再び同じ闘争が現れ、そういう歴史を繰り返してきたというマルクスの言は結局、共産党一党独裁に付随した腐敗で露呈してしまった。彼が書いたことが共産主義国家の中で起こってしまったように思う。人間くさいところまで、国家は管理できない。

 ううむ、じゃあ弱者は弱者であるがゆえに結局は搾取される運命にあるのか。このまま世の中を覆う大いなる虚実の中に飲み込まれ、支配されて消えてゆくのか。
 第一に優先されるのは大嘘の後ろに隠された権力者(ブルジョアというのか)の利益であることには、今後も変わりなさそうだ。
 でも、世の中の大多数は結局それでいいんじゃないかとも思う。少なくとも大成翼賛的な思考停止に対して、自分は疑問を持っているけれど(もっていたいと思ってる、かな)。

 他の文献を当たって、この本に立ち戻ってきた時に新しい発見があるように思う

共産党宣言改版
posted by 煩悩即菩薩 at 17:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | レビュー

2008年08月17日

つっこみ力

 吉田戦車のイラスト表紙が印象的だった反社会学講座。読んでいて噴出すような活字本というのは中々ないものだけど、今回の「つっこみ力」も期待通り面白く読めた。

 斉藤孝の「〜力」という一連のタイトルをもじっている(それも視点として面白いなあと)。論理力や批判力を鍛えても、誰も面白くないから見向きもしない、それよりも面白く遊びをもたせて「つっこむ」ことの大切さ、というよりは視座の提案。講座調に書かれていて、さっくりと読めてそれもよい。
 確かに世の中ってのは結局力を持っている人で動いていて、それにいくら論理だててたてついたところで無駄。小難しいことをいくら並べたところで誰も(難しいし、分からないし)見向きもしてはくれない。そんな中、最後に残るのはみんなに分かりやすい言葉で面白く説明できる人。その通り。

 データを使って関連付けをすれば全てがまかり通るというのも面白い。統計データに騙されてはいけないというのはわかりながらも、こうやって具体的に面白い説明がなされると、なんだかははあわかったぞという気持ちになってくる。客観的という視点自体は疑わしいものだということは知っていたけれども。

 いろんな社会問題や、それをまことしやかにレトリックを駆使して悦に入ってる専門家や学者を小馬鹿にしてこき下ろしているのも痛快(むしろ挑発してるように思うのだけど、違うのかな)。自分は専門家でも学者でもないけど、何だか本書に書かれているようなところに思い当たる節があるなと思った。
 分かりやすく、面白く、リスクをもってポジティブにつっこむ。まあだれかが拾ってくれるだろうさ。さっさと読めすぎてしまって、あんまり後には残ったように思えないけど、楽しい本です。
posted by 煩悩即菩薩 at 16:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | レビュー

2008年08月11日

「彼女たち」の連合赤軍

 とある場所でオススメされているのをみて、興味が沸いたので読んでみた。筆者といえば魍魎戦記MADARAの原作者で、かなり昔に読んだものだ(懐かしい)。

 連合赤軍の永田洋子をはじめとして、サブカルチャーが戦後の歴史
に占める割合を見直し、オウム真理教や戦後文学などにかかわった「女性」について言及していく作品。といった印象。
 自分を生きるということは何だろうと変に考えてしまう章もあれば、サブカルチャーをそこまで持ち上げなくても…とちょっと違和感があるなあといったところもあった(それはきっと自分がサブカルチャーを正当なものとしてみなしていない部類に属するからなのだろうな)。

 少女マンガや出てくる小説の類もほとんど縁のない作者やタイトルばかりなので、そこがイメージ衝かないけれども切り口としては面白いと思う。確かに大衆文化としてのサブカルチャーが、戦後の歴史の動脈にこんこんと流れているような気もするし、そういうものやボードリヤールの言う「消費による自己実現」をする主体性のなさげな人々、大衆が自分たちの生きる輪郭を求めてさまよっている姿が不気味に目の前に浮かんでくる錯覚を覚えた。

 オルテガやらベンヤミンあたりが、労働や研究はどんどん細分化していくようなことを書いていたと思うけど、サブカルチャーというのは労働ではないにしても似たような事象で、とめようがないものなのかと認識している。ここで傍流が主流になる転換が起こるのか。その後はどうなるんだっけか。
 そんな傍流が氾濫する時代において、主体的に生きるとはどういうことなんだろう。どこに捕まれるような根があるのだろう。

 「記号の消費」や「消費による自己実現」は先にも呼んだ今村仁司の本にも何度か言葉が出てきていたが、ちょっと興味がでてきた。ボードリヤールが原点のようなので、近いうちに読んでみようと思った。

posted by 煩悩即菩薩 at 15:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | レビュー

自殺予防

 自殺を防止する目的として、「きれいな死に方はない」なんて言葉を目にしたことがある。首をつったら糞尿垂れ流しでどうのこうのだとか、樹海に入れば犬やら虫に死体を食い荒らされるだとか。

 ああ、いやだなと嫌悪感は覚える。
 ただちょっと思ったのが、こうした嫌悪感をもてるのはまだ自分の体を大切な所有物として愛着を持っているからだと。自分の肉体に愛着がなくなれば、上のような脅しはまったく効果を持たないんじゃないか。
 そう思うと、完璧ではないという意味で、頼りない文句に思えてきた。自分の体が大切で未練がある人が大多数を占める限りは、自殺防止できる数の上での効果はあるけれど(だから立派にその役割は果たしている)。

 自殺者がでることはイヤだと思うなら、それが出ないようにしないといけない。そういう世の中でなくてはならない。ただ、死人に口なしで、遺族も回りも隠したり不問に付したりすることで、それがまた今の状態(年間自殺者3万人)を好転するきっかけができないことでもあるんだろう。死は自殺でなくても、忌避されさっさと葬られる傾向があるから。

 精神と肉体の分離というか、なんというか。そういう境地にいけば、生きるも死ぬも関係ない、自殺をする場合は何だか絶望の先に開ける涅槃の境地みたいなところにいきついてしまった状態ともいえるのかもしれない。
 しかし、多くは自分の死後の影響を考えた上で死ぬ場合もあるだろうから、不謹慎だがその場合は悟りは開いていないのかな。
posted by 煩悩即菩薩 at 15:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

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